いじめられていた話
どうも、猫屋敷勇です。
今回のテーマは「いじめられていた」です。
少し重たいテーマです。
僕は、小学生の頃、クラスメイトからいじめを受けていました。
悪口なんてほぼ日常茶飯事、物を隠されたり、暴力も。
そんないじめを小学3年生の後期頃から卒業するくらいまで受けていました。
時間が経てば経つほど、無抵抗だった僕に対してのいじめはエスカレートしていく一方。
この期間は苦しかったです。
小学4年生の頃、一度だけいじめを理由に休んだことがあります。
その時に担任だった先生が、授業の一コマを使って僕に対しての手紙をクラスメイト全員に書く、という時間を設けてくれました。
いじめをしていた複数人からは謝罪の手紙、他のクラスメイトからは励ましの手紙でした。
素直すぎた僕は、その手紙の書かれていることを受け入れ、次の日には登校していました。
もしかしたら気づいている方もいると思いますが、これでいじめがなくなればこんな記事は書きません。
いじめはすぐに始まりました。
もちろん、書いた通りエスカレートしていきました。
そのまま、小学6年生に進級していくのですが、その時の担任がクソすぎました。ほぼ、いじめに加担しているな物でした。
いじめの訴えには目を瞑り、僕が少しでも気に食わないことをすれば不機嫌になるような人でした。
一番記憶に残っているのは、家庭科の時。
家庭科の担当する先生は違ったので、そのクソ担任はその現場に居合わせていません。
家庭科の担当の先生が目を離している時の出来事でした。
その家庭科の内容は料理だったのですが、フライパンの中身を無理やり落とされ、その落ちた食材を無理にフライパンに戻す。それを食べさせられるといったことをされました。
それを、家庭科の担当の先生といじめをした人達と一緒にクソ担任へ報告。
僕の口からも今書いたように具体的に訴えました。家庭科の担当の先生も僕の見方をしてくれて、「話が具体的ですよね。」とも言ってくれました。
それでも、クソ担任はいじめをした人達の「僕たちは何もしてませーん」みたいな薄っぺらい話を信じ、何もしてくれませんでした。むしろ、怒られたと思います。
最後の記憶があやふやなのは、話が信用されないことのショックから覚えていません。
そんなこともあり、小学校を卒業し中学校へ進学しました。
その時、いじめをしていた人達は半々で別の中学、同じ中学へと進学しました。
この僕の受けたいじめの話は、実は解決してないんです。向こうはいじめの認識がない奴らなので、忘れていると思いますが。
いじめを受けた代償というか重荷は大きく、人間不信が今でも少々あります。
世間は厳しい物で、そう言った重荷を背負った人達に努力を求める人が少なからずいます。すでに、重荷を背負っているのに。
考え的には甘えているのかもしれませんが、例えるなら、両足が骨折している状態で走れと言っているような物です。
といっても、僕は当時と比べ、メンタルはかなり回復しています。
どちらかというと、先ほどの例えでの骨折状態で走ることに慣れた、に近いでしょう。
そんな回復の過程で一番大きかったと思えるのは「環境」です。
環境を変えるだけで、解放される気持ちもありますし、自分がその環境を知らないように相手も自分のことは知りません。
ある意味、リセットされるんです。
それと、漫画「ONE PIECE」のあるコマでこんなことが書かれています。
“平和”を知らねェガキどもと、“戦争”を知らねェガキどもの価値観は違う!!!
そう、環境によっては価値観も違うんです。
過去に僕はこんなことも言われました。
「環境のせいにするな!」
この言葉は、平和脳な人から生まれた言葉だと思っていて、僕は全く信用していません。
いじめを受けている方が、この記事を読んでいるなら一言。
相談が通じないなら環境を変えるために逃げても良い。
受け止めきれないなら真っ先に逃げてください。
あと、かなり暗い話を少ししますが、逃げる選択肢に自殺を考えている人へ。
僕は、あの世って場所は一つしかないと考えていて、行き着く先はみんな同じとも考えています。
それは、死刑に罰せられた極悪非道の愉快犯もいるとも考えてます。
それに加え、この世からあの世に行くのは片道切符しかない。
あの世からの逃げ道はない。
けど、この世は知らないことを調べたらすぐ知りたいことが出るようなところです。
自分にあった逃げ場も。
そう考えたら、あの世に行きたいと思いますか?
僕はそう考えてから、自殺を考えるのをやめました。
今回はかなり暗いテーマの話になりましたが、ここまでにしようと思います。
あなたは生きていて良い。
それでは、また。